詩に満たされた空間~黒多弘文展を見て~(西松)

部屋に入ると、糸が張ってある。水道の蛇口に結んだ白い糸が部屋を横切り窓の方に延び、途中で黒い糸に結ばれ、その黒い糸は窓の開閉ノブを一巡りして部屋をまた横切り、入口にあるシャワー室の上の金具に掛けられている。糸は光の具合によって、見えたり見えなかったり・・・・とりわけ黒い糸は見分けるのが難しい。うっかりすると糸に引っかかる。すると糸の抵抗感が、体に伝わり警告を感じる。(反則!)
糸のある光景を向こう側から見たいと思えば、2本の糸を上手に跨ぐか,潜るしかない・・で、私は、体を屈め、糸を潜って向こうへ渡る。まるで制作者の術中にはまり、パフォーマンスを強いられているようだ。(どこかでビデオが回っていない?)
そして、あらためて糸を眺める。部屋の中央を横切る2本の糸が、目に見えない壁のように、あちらとこちらを分けていることに気づく。引っ張ればすぐに切れてしまいそうな細い糸が、堂々と部屋を仕切っている。(「お主、なかなかやるのぅ

展覧会に続くカット・イベント(かつてあった美容室の再現 黒多氏の企画)にも、糸はそのまま張ってあった。髪を切るために訪れた観客は、ごく自然にその糸を潜って向こう側に渡る。糸を待合室から美容室への境界として、ごく自然に受け入れているようである。点線が実線になったというか・・・(本当に不思議な変容だょ。)
その最終日に、再び部屋を訪れると、7日の間に人の頭から切り離された髪が、美容室のあちらこちらに散らばっている。しかし、よく見ると、あの糸の境界を逸脱して、待合室に侵入する髪はまったく、見られない。窓から吹き込む風が、悪戯をしかねない時もあったろうに・・ (エー。髪は境界線を守っていた?)
私は物語過ぎてしまったようだが、空間に引かれた一本の糸は永遠の謎である。自明のものとしてそこにありながら、何か遠くにあるものを指し示している。そして、見る者を写す鏡でもある。おそらく無数の想像の反射が空間を行き来したことであろう。
(素敵な、詩的なアートやったでー)
すべて見ているわけではないが、黒多弘文の作品は、どこかに見えない何かを感じさせてくれる。偶然に、同時期パレルモの作品展(慶応大学アート・センター)を見た。壁に掛けられた黒い箱や灰色の円盤をみて、造形は異なるにせよ、黒多と同じ資質を感じると共に、師であったボイスが、パレルモについて語った言葉を目にし、印象深く感じた。

彼は、理論的なプランに従ったりするような画家ではなかった。むしろ、詩的なアイディアにいつも従っていた。――自分自身の、そして自分自身の周囲に、新しい絵画を創造する、実質的には彼自身の世界を創造するというアイディアに。(ヨゼフ・ボイス)

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