美容院・理容室の建築を写真集で見ていたら、江戸の床屋について「へぇ」と思うことが書いてありました。
『 昔は床屋しかなかった。床屋の歴史は古くて、江戸の町が開かれた時からすでにあり、幕府に登録して職業組合を作っている。そして、客は男だけだった。
建物としては二つのタイプがあったことが知られている。ひとつは〈出床(でどこ)〉と呼ばれもので、ご町内のオープンスペース、たとえは橋詰とか町木戸の際とかの公的空地に間口一間、奥行一間半の小屋を掛けて営業している。
公的なスペースを占有していたとことは床屋が公的な性格をもっていたことを意味している。公的性格とは具体的に言うと、江戸の町が火事になった際に奉行所にかけつけて書類を運び出す義務があったのである。
床屋と公文書という組み合わせはあまりに唐突で、なぜそんなことになったのか分かりかねるが、ただ何となく「床屋は普通の自営業じゃない」という感覚はわからないでもない。
銭湯もそうだが、床屋は人々の日常生活の底まで届いている職業で、この種の職業についている人々を把握しておくことは都市を運営していく上で大事なことである。都市の情報をコントロールしようと思ったら、“床屋政談”の本家の床屋の世界とパイプを太くしておくのはうまい手である。
また、町内御用達的な出床のほかにもう1つ内床という形態がある。こちらは、普通の商売と同じように民有地に建つ普通の建物の中に営業している。なお、彼らにも公文書持ち出しが義務づけられていた。』
(『写真集:失われた帝都東京ー大正・昭和の街と住まい』藤森照信、藤岡洋保、初田了 柏書房 1991)
床屋と公文書の組み合わせは確かに不思議だと思い調べたらあっさり謎が解けた上、意外とつまらないので、『床屋は火事の時、奉行所の書類を運び出す義務があった』ということをまず覚えておくことにして、自分の持っていた“床屋的”の基準を考え直してみたり、火事の日に書類を担いで右往左往する床屋を想像してにんまりしてみました。