西洋館物語「旧前田侯爵邸」の報告(西松)

旧前田侯爵邸は、加賀・前田家第16代当主利為の自邸。昭和4年(1929)に洋館が、翌年に和館が竣工した。洋館はイギリスのカントリーハウスを思わせる外観、各部屋の細部のデザインも見どころにあふれている。ビデオによると、施主の前田利為は陸軍軍人であったが、イギリス駐在武官など外交官生活が長く国際感覚が豊富な人物であった。館に洋館と和館を共に設けたのは、外国の要人に寛いでもらうと共に、日本の魅力も味わってもらいたいという意図であろう。洋館には海外の著名メーカーの家具や壁紙や絨毯などで飾られ、部屋ごとに雰囲気の異なるマントルピースがあった。イングルヌックという暖炉のある家族的な寛ぎの小部屋が用意されていたことに驚かされた。外国通であった利為の親密さを生む為の緻密な気配りによるものであろう。昭和8年に作られた旧朝香宮邸のアールデコの芸術空間とは異なり、外交の汎用性が考慮された館であったようだ。
邸宅での華やかな生活ぶりは、利為の長女酒井美意子著「ある華族の昭和史」に詳しいというので読んでみた。ある公式晩餐会では、「ホールの正面の壁にゴブラン織りのタピストリー、・・メイプルのピアノラの上には、バッハやベートーヴェンやショパンの自筆の楽譜、金唐革の壁にはゴーギャンの「タヒチの女」、椅子はすべてピンクと濃紫のビロードの浮彫で・・その夜の客は松岡洋右外相夫妻、オットー・ドイツ大使夫妻、・・」とある。また菊子夫人は、日常ハイヒールで生活し、家には136人の使用人がいて、家族は常に人に見られ通しの生活であったという。
ビデオで館の案内役を務めた利為の長男利弘氏の説明は、さらりとしながらも思い出を懐かしむような滋味があった。後ろから追いかけるショットが多かったのは、顔を見せたくないというご本人の意思だそうだが、カメラに向かっての説明なぞ、殿様として、はしたないという気持からではないか。そんな風格があった。
前田利為は、なかなかの人物だった。ある宮家から美意子に縁談の申し出があったのを断る。「特権階級に対する反感は強い。前田家と皇族が縁組するのは、絶対避けなければならない。遠からず皇族や華族はなくなってしまう」というのが理由だったという。陸軍士官学校で東条英機と同期であったが、軍人が国の政治に関わることをよしとせず犬猿の仲だった。あー陸軍にもこんな人物がいたのだ。後にボルネオで不慮の死を遂げたことが惜しまれる。
建物を見るということは、その芸術的魅力もさることながら、建てた人と歴史を思い起こすことなのだとあらためて思う。前田利為という人物あっての前田侯爵邸であった。ビデオの終り頃、かつて前田家伝来の貴重な文物や調度品が飾られたと思われる和館の映像が流れた。今はがらんとした部屋に木漏れ日がキラリと舞う、とても美しいカットで、在りし日の前田侯爵邸の残映を見る思いがした。