第4回 西洋館物語「山本有三記念館と黒田記念館」の報告(西松)

三鷹市にある山本有三記念館は、作家の山本有三が昭和11年から21年まで家族とともに過ごした家で、もともと大正時代末期に英国帰りの貿易商が建てた別荘だった。設計者は不明だが、建物は19世紀イギリスで流行したピクチャレスク様式で、窓や屋根などが変化に富んだデザインで構成されている。映像でディテイルを見ると、石組と煉瓦の荒々しい煙突や八角形の小窓、クローバー型の洒落た格子など、造形の妙に圧倒される。
新しい文学の担い手として活躍していた山本有三は、警察に共産党との関係を疑われて検挙された後、静かな環境を求め、ここに移り住んだ。「路傍の石」の執筆、少国民文庫の開設や、国語教育への取り組みなど多彩な活動が行われた時期と重なるという。
建物の内部を見ると更に驚かされる。ホール、応接間、食堂にはそれぞれ個性的なデザインの暖炉があり、様々な建築様式が併用されている。2階の南側に洋風の書斎があるが、有三は、隣に床の間のある数寄屋造りの居間を作らせている。その居間は戦後、長男の家に移設されたが、三鷹市の文化財となることが決まると元に戻されており、こだわりが詰まった建物といえよう。
上映後、設計者について質問があったが、近藤さんによると鳩山邸との類似が見られることから岡田信一郎が関与したのではないかという。
後半の上映は上野公園にある黒田記念館。日本の近代洋画の先駆者である黒田清輝の遺産と作品が国に寄贈され、遺言により美術を奨励する建物として昭和3年に建設された。建物はシンメトリーな構成を持つルネサンス様式で、設計を手掛けたのは例の岡田信一郎。当時東京美術学校で建築の教授を務めていた。
玄関の両側には、装飾として壷が置かれ、扉にはユーモラスな郵便受けのデザインが施されている。建物の中に入ると漆喰のアーチ壁のあるエントランス、階段にはアール・ヌーヴォー風の手すり、2階に上がると黒田の作品や資料を展示する黒田記念室があり、その天井には漆喰の花飾りが見られる。
フランスに留学した黒田清輝は、帰国後、東京美術学校の教授となり、日本に外光表現をもたらすと同時に、西洋美術の基本である裸体画の必要性を説き、構想画をめざした。この部屋には代表作の「智・感・情」、「湖畔」などの名作が展示されている。晩年の黒田は美術行政に多忙な毎日を送り、構想画を究めることなく大正13年に亡くなった。
黒田記念館の入り口の2階にはギリシャ神殿風の円柱がそびえている。それは大理石ではなく特注した茶色の煉瓦でつくられており、外壁のスクラッチ・タイルと相まって、公園の緑と絶妙な調和を見せている。
上映後の近藤さんの話によるとこれらの煉瓦は深谷にある日本煉瓦工場株式会社で造られた。(ネット検索すると、煉瓦を焼いたホフマン輪窯が11月11日(日)に公開される。)