トーク・サロン306 ~第1回 ファインダーから覗いた306号室~

写真家の大西みつぐさんがアサヒカメラ誌に「物語306号室」と題した写真を発表されたのを機に、その思いをお話ししていただいた。
大西さんは、木村伊兵衛や土門拳らの世界から日本の写真が大きく変化する70年代の少し前に写真家を志した。もともと写真が大好きな少年だったが、直接のきっかけは、自分が家族と共に住み、よく知っている下町を撮ったある写真家の作品に違和感を覚え、そうでないものを撮ろうと思ったからだという。
その頃撮影された縁台将棋や隅田川沿いの人々の暮らしの写真を見せていただいた。「昔は、こうした人間模様が普通に撮れたが、今は撮れない時代になった」という。
ある時、大西さんは知人の展覧会を見るため奥野ビルを訪れ、306号室に入った。部屋を見た最初の印象は、「なつかしさ」だった。この場で何かをやりたくて、会員になった。何度か部屋に通い、朝から夕方まで部屋で過ごすと様々なものが見えてきた。スイッチ、窓、オゾン発生装置、不思議なものがたくさんあった。また、部屋の様子は、光によって刻々と変化していた。揺れ動いて呼吸していた。
大西さんは被写体の愛で方は、どこでも同じという。「自分の世界、記憶の世界に入ってゆく。」のだそうだ。 部屋を見ている楽しみは町を歩いている喜びと同じで町には人がいて、部屋には人間の痕跡がある。
カメラの表現にはレンズの力が大きい。以前、町を撮っていた頃は広角レンズを使っていたが、最近は肉眼の視覚に近い標準レンズを用いることが多い。目の前の一部しか切り取れない標準レンズは、「不自由だが、その制約が、モノをよく見る態度を養う」からだ。
被写体に向き合うために部屋の撮影には三脚を使った。「カメラを据えて、相対して、ファインダーを見て、被写体を見て・・その相互作用の中で撮影する。その時間が心地よかった」という。
306号室で大西さんが、最も魅せられたのは床にガムテープが貼ってある光景だった。ひとつの平面として、とても面白いし「様々な物語が浮かんできた」という。当初はその物語を話すことを躊躇されたようだが、参加者の質問に答え、こう語った。
「誰が貼ったのかなと思った。多分、このメンバーではないと思った。重なって一直線に貼るのは、非常に律義な貼り方だ。よく考えると、90歳まで都営アパートで一人暮らしをしていた母がよくこんなことをしていた。だから、須田さんのことではなく、私の母のことを思っていた。」「母は、日のうつろいをじっと見ていた。私はここで母の風景を取り戻していたのかなと思う。それも呼吸なのですね。」と。
大西さんの深い思いの交感に打たれる。カメラマンとはどういう人間なのか、306号室が多くの人の心を捉えるのはなぜかが少し分かりかけてきたように思える。
最後に参加者を交えてのトークの中では、下町から音が消えてしまったことや見ることとはどういうことかについて話が弾んだ。
(文責 西松)

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