第11回西洋館物語・上映会 「早稲田大学演劇博物館」「朝倉彫塑館」の報告(西松)

今回の参加者は、コアメンバーの5名。上映の合間にはI氏が持ち寄った羊羹と鉄観音茶がふるまわれ、サロンに相応しい集まりとなった。

「早稲田大学演劇博物館」は、明治の文豪坪内逍遥の古希とシェークスピア全集・翻訳完成を記念して1928年(昭和3年)に設立された。建物はイギリスの16世紀、エリザベス朝時代にあった劇場フォーチュン座を模し、外壁はハーフ・ティンバーのチューダー様式であるが、内部の構造は鉄筋コンクリートで作られている。また博物館と劇場の機能を併せ持っており、入口・正面が舞台、両翼が桟敷席となっている。関東大震災後に博物館建設の機運が高まり、後藤新平や水谷八重子の募金活動によって実現したという。伊藤洋館長(当時)が「中央の塔の上に掲げた旗は芝居が行われている印であり、舞台上部にはシェークスピアの名台詞『この世は舞台、ひとはみな役者』がラテン語で掲げられている」という興味深い話を披露していた。館内にある逍遥記念室の椅子やテーブルもエリザベス朝時代の意匠を取り入れており、天井には逍遥の干支に因んだ羊の装飾が施されているのが面白い。

上映後のトークでは、設計者の今井兼次の関与について質問があり、ネットで調べると、彼は安曇野の碌山美術館や長崎の二十六聖人記念館などの設計をしている。合理的建築ではなく、絵画的要素を持ち、職人の手の技を残す建築を目指していたという。今井は1926年~27年にかけて東京の地下鉄の駅舎を設計するため、ヨーロッパの建築を見て歩き、バウハウスの他、異色の建築家ガウディ、エストベリ、シュタイナーを日本に紹介している。この時に、ロンドンやシェークスピアの生地ストラットフォード・アポン・エイボンなどで、そのリサーチをしたと思われるが、すでに遠い昔にフォーチュン座は、焼けているので、当時のスケッチや版画などを参考にしたのだろうか? エリザベス朝の劇場の歴史を調べて見ると、当初は、インヤード・シアターといって旅館などの中庭で寸劇が演じられていたが、やがて張り出し舞台に桟敷席が取り囲む円形劇場に発展した。その代表がグローブ座で、これに対抗して草創期の四角の形式を引き継いだのがフォーチュン座であった。しかし、円形劇場がもつ舞台への求心性がないため、フォーチュン座も焼けた後は円形劇場として再出発している。今井はこの草創期の形式を演劇博物館の建物に相応しいと考え採用したのだろうか? ちなみにグローブ座を再現しているのが1988年にオープンした東京グローブ座(設計・磯崎新)で、ロンドンでも1997年、テームズ河畔に新グローブ座が復元再建された。
なお今井兼次が設計した地下鉄の上屋が現在も二つ残っていた。浅草駅は寺社のような和風のデザインで、稲荷町駅はアール・デコ風のモダンなデザインとなっている。どうやら駅のある場所ごとに、建物のイメージを変えているようだ。他にはどんな建物があったのか。別の機会に調べてみたい。

「朝倉彫塑館」は彫刻家朝倉文夫が自ら設計、7年の歳月をかけ昭和10年に完成したアトリエ兼住居を改装した美術館。鉄筋コンクリートのアトリエと丸太と竹をモチーフにした和風建築の住居を折衷している。統領は小林梅五郎、造園は西川佐太郎。斜に構えて解説する学芸員の村山万介氏によるとこの館は「プロとぴったりいかない朝倉流」で、円筒形の建物の外壁は、防水用のコールタールがむき出し。玄関には輪切りの丸太をコンクリートに嵌めこんだ床などユニークな装飾に満ちている。代表作「墓守」発表後、文展に連続入賞し、重鎮となった朝倉はここを朝倉彫塑塾と命名し、多くの弟子を育成した。鉄筋のアトリエは、60坪の広さがあり自由に昇降するエレベーター式の制作台がある。また、和風の住居の客間には神代杉を天井に使い、床の間の柱には曲がった自然木がそのまま使われている。中庭には、儒教の教え「仁義礼智信」を造形化した巨石が配され、自然の湧水を利用した水庭となっている。なぜ、これほど豪華な館を作れたのか? 朝倉は若い頃、横浜の貿易商から依頼された動物の像を造るアルバイトで、校長の月給が30円の時、月に300円も稼いでいた。ウィキの記述によると「モデルを雇う金がないために上野動物園へ通って動物のスケッチをするうち、たまたま教授からの紹介を受けた貿易商の注文で動物の像の制作を始め、ほぼ一日に一体のペースで卒業までに1200体以上に及んだ」という。猫好きで、館内の随所に猫をモチーフにした作品が置かれている。来客時も、粘土を捻りながら応対、いつの間にか猫の塑像を仕上げる手の人でもあった。

上映後、すぐに建物を是非見たいという声が上がり、界隈の古い建物を廻るツアーや彫塑館のディテイルを村山学芸員の説明で楽しむ見学会開催の話で盛り上がったが、調べて見ると、村山氏はその後、朝倉彫塑館の館長をされ、今年の1月亡くなられていた。合掌。