ホセイン・ゴルバ展

今年の2月7日(土)、8日(日)の両日、奥野ビル306号室で「ホセイン・ゴルバ展」
が開かれた。
ホセイン・ゴルバは、イラン出身のアーティスト。イタリアのブレラ・アカデミア美術学校を卒業、ヨーロッパ各地で数多くの個展やグループ展を開催。1997年に来日後、「アジア文化共同体の構想」や「子どもの足跡プロジェクト」を主宰し、世界の人々が文化や歴史、宗教の違いを互いに理解し対話することを目指す活動を行っている。
今回展示されたのは、「接木~見知らぬ日本兵へのオマージュ」。 旧日本陸軍が兵士に持たせた「歩兵操典」に、「アッシジの聖フランチェスコ伝」を布で結び、それをイランの詩人「ハーフェズの詩集」の上に乗せた作品である。「接木」は、ある果樹に別の果樹を接木すると新品種が生まれる現象をアートに引用したもので、歩兵操典の中には、ゴルバがペルシャ語で綴った以下の手紙が記されている。

見知らぬ日本兵の友人へ

この小さな本に、ハーフェズの美しい詩文を書き込みました。戦渦の中、戦いで敵を殺し、また殺されないように身を守るために携えていた歩兵操典に。これらの詩文は、若者であるか、もしくは、父親であるあなたの魂への祈りです。
あなたがその本と向き合う間も、草木は花を咲かせることをやめず、赤いケシの花々は太陽の光を飲みほすことをやめませんでした。ふるさとや愛する家族や友人への郷愁や悲しみを抱きながら、人間の死が日常化する戦場での日々を送られていたことでしょう。
色褪せたページの向こうに、あなたの無数の苦しみと希望に潤んだ、美しい目の輝きを見ることができます。
戦争へと先導し、戦争に市民を巻き込む、無自覚の人々。彼らは、自分の中にある悪との戦いに敗れた人々です。本来戦いは、自分との戦い以外に存在しないのです。そして、自分との戦いは、多様な生きもの、森羅万象の中に無数に眠る生命のかたちを発見するためにあります。

美とは、生命そのもの。
生きることは美しい。

偉大な詩人、ハーフェズは、そのことを良く言い表しています;

いまわたしは、草むらに咲く色とりどりの花々を見ている。
無から生まれるこの美しさの、なんと崇高なことよ。
小さなすみれは、頭を下げて、すべての来賓をお迎えしているではないか。
ハーフェズの詩《ディーヴァン》からの一節
.
小さなすみれは、無から生まれるこの素晴らしい生命におじぎをしているのです。

ホセイン・ゴルバ

(歩兵操典の中にゴルバがペルシャ語で綴った手紙の日本語訳)

《見知らぬ日本兵の友人へ》について

この作品は、2009年別府で開催されたアート展において、を制作しました。
2冊の本が粗い生成りの布に抱かれたように結ばれています。
これらの本は、『アッシジのサンフランチェスコ伝』と『歩兵操典』(前線で敵と戦い、殺すためのマニュアル本)です。前者の表紙には、サンフランチェスコの肖像画のメダルが付いています。そして、後者の本を、私は自分の日記帳に変えました。〝ハーフェズのファル″というイランの習慣に倣って。ハーフェズは、イランの偉大な詩人のひとりです。ハーフェズの詩に感銘を受けて、ゲーテは、『西東詩集』(せいとうししゅう、原題:West-östlicher Divan )を書きました。〝ハーフェズのファル″とは、日本のおみくじのようなもので、目をつぶって願いごとを心の中で唱えながら、ハーフェズの本を開き、占います。偶然開いたページに書かれている詩が、その人の精神状態を表し、何をすべきが示されている、というものです。私は、〝ファル″を何度かやり、その都度、ハーフェズの詩をこの『歩兵操典』の余白に書き込みました。そして本の最後ページに、「見知らぬ日本兵の友人」へ宛てた手紙をしたためました。
これら2冊の本を接ぎ木する意味は、平和の文化を愛する人には、明白だろうと思います。さらに、アッシジのサンフランチェスコとハーフェズを知る人には、私の行為にもご理解していただけることと思います。
今回は展示する空間との関係で、《接ぎ木》の土台として、愛を謳歌した、ハーフェズの詩集そのものを加えました。

2月、東京にて
ホセイン・ゴルバ

神奈川県立近代美術館長水沢勉氏はゴルバ芸術の良き理解者で、2009年に宇部で開かれた日本で初めてのホセイン・ゴルバ展(時を彫る)のキュレーターをつとめた。その水沢氏より、今回のゴルバ展に際して以下の推薦文を頂いた。

ホセイン・ゴルバ 寛容の微笑み

イラン生まれのホセイン・ゴルバは、現在こそ、その芸術のメッセージをわたしたちがもっとも必要としている重要な芸術家である。若くしてイスラム革命の混乱のなかにあった祖国イランを離れ、イタリアで古代以来の美術の豊かさに出会い、そして、極東の日本に暮らして、文化の多様性の意味を噛みしめ、作品にその思想を反映させてきた。しかし、おそらく、その豊かな多様性にもかかわらず、わたしたちの世界は不完全であることを、そして、自分も含めて完全ではないことを、この彫刻家は東洋のものごとの感じかたや生き方に触れ、さらに深く自覚したように思える。それは、物分かりの良い諦観ではない。むしろ、激情的な希求というべきか。
すべての文化的な価値をなによりも五感で感じとり、味わい、そして、理解し、喜びたいという望みである。その喜びがあたえられたとき、ひとはおのずと微笑みを浮かべるにちがいない。ゴルバという芸術家は、この寛容の微笑みに満たされた世界を、激しい渇きをもって求めているのだ。
この混乱と暴力の、ますます不完全さを露わにする世界にあって、ホセイン・ゴルバが芸術家として貫き通してきた姿勢はわたしたちに残された一縷の希望である。

「ホセイン・ゴルバ展」は2日という短い期間であったが80人近い鑑賞者があった。またアーティスト・トークにも定員をはるかに超え15余人の参加者があった。以下にその概要をお伝えする。

イランでは、今でも自分の運勢をハーフェズの詩で占うという。ゴルバ氏のトークはその実演から始まった。詩集の上側を三回、そっと指で撫ぜて、本を開く。そして開いたページに書かれた詩を読む。イランでは、詩を歌うように読むというので、それを請うと、ゴルバ氏の朗誦が始まった。低い声が、ゆったりと静かに広がってゆく。時に短い抑揚の繰り返しがある。目を閉じるとその声が起伏のある大地をこえてゆくイメージが浮かぶ。西洋の歌とも、日本の唄とも違う独特の節回しである。詩の意味は「今、平野には花が咲き始めている。菫が頭を下げてようこそと言っている。」そう言ってゴルバ氏は上半身を折り曲げ、ムスリムでの祈りのポーズだと説明する。ゴルバ氏が朗誦した詩は、偶然にも、歩兵操典に書き込んだものと同じだった。

その後、ゴルバ氏は、今回の作品制作に至るまでの経過を話し始めた。
「まず、ヘルダーリンの詩を紹介したいと思う。彼の詩に芸術とは自然から文明への道であり、文明から自然への道であるという一節がある。私の基盤になっているのも自然だ。

ゴルバ氏は5歳の時から接木をしていた。接木をすることによって、新たな味わいのある果実が生まれる。やがて自分の人生における他者との関係においても接木という考え方が、心に響くようになった。最初の頃は詩人が描いた本の中に、日記を書いていた。
日本に来る直前、イタリアのラ・マッラーナという町で「黄金の日」という個展(1997年)をした。森の中に7つのポイントを作り、訪れた人が最初のポイントに来ると、子供が遊んでいる声を録音したものが聞こえてくる。通った時にセンサーが働いて聞こえる工夫をした。次にオリーブ畑のポイントがあり、そこでは33冊の聖なる本をオリーブの木に結びつけた。
本と本を結びつけることは1998年に日本で最初におこなった。福岡の博多リバレインでの常設の作品。その時はサーディという詩人の詩集と世阿弥の花伝書を接木し、ブロンズにした。
「2009年に別府で国際芸術祭があった時、世界の情勢は混沌としていた。そういう状況の中で、接木をする本を探していたら、神田の古本屋で歩兵操典に出会った。この時はハーフェズの言葉を借りたいと思い、おみくじのように開いては言葉を見つけて書き込んだ。目の不自由な朗読家・川島昭江さんにまどみちおの詩を読んでいただくトークを行ったが、川島さんにも、我が家でハーフェズの詩の占いをしてもらい、選んだ詩を書きこみ木に結んだ。
その続きのシリーズとして、この306号室で展示する機会を与えていただいたのを感謝する。最初に部屋を訪れた時、住んでいた方の雰囲気が部屋中にあふれている詩的な空間であると感じた。また部屋の内装を変えないという会の方針を聞いたので、ハーフェズの詩集を土台にすることを思いつき、こうした形で展示することになった。大きな本の上に小さな本が垂直に乗る――人体のような形が、この詩的な雰囲気の部屋の中で生きるのではないかと思った。」

神奈川県立近代美術館の水沢勉氏もトークに参加、以下の趣旨のコメントを頂いた。

「わたしたちは、単純にいくつもの文化を整理したり、複雑な論理を客観的に組み立
てられると思っているが、きっとそうはならない。その困難さと多様な文化に対して
開かれた状態(それはまさしく「詩的な状態」というべきものです)になりなさいと
ゴルバさんはいつも言ってくれている。そういう詩的な作品を作る。そういう詩的な
生活をする。それは、すごく大変だと思うけど、続けたいと思っているのがゴルバさ
んの生き方であり、作品そのものだと思う。」

その後、参加者よりの「イランを離れ、イタリアに、そして日本に来た意味は
という質問についてゴルバ氏はこう答えている。

「外に行って学びたいという気持ちが絶えずあった。実際に出て多くを学び、接木することを試みた。そのことが自分に豊かさをもたらした。ペルシャに『旅は人間を成熟させる。』という諺がある。作品の中に旅で経験したことが生かされているものが多い。ビデオでボボリ公園の展覧会を紹介しているが、その展覧会でも日本の庭園から学んだことが表されている。石を置いて、そこから鑑賞者に作品を見てもらう工夫だ。東京の後楽園や六義園では、ある文学的な風景が庭師によって造られ、それを鑑賞するための場所に石が置いてある。その発見は私にとっては感動的だった。私はたくさん接木されている。」

お話しを伺っているうちに「接木」という考え方が今日、人類にとって、とても大事な知恵ではないかと思えてくる。世界の人々に広く「接木」が共有されることを願わずにはいられない。(西松)

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