「ホセイン・ゴルバ展~バラに寄せて~」の報告

ホセイン・ゴルバは1956年イランに生まれ、ミラノにあるブレラアカデミア美術学校を卒業後、ヨーロッパ各地で展覧会を開催、現在は日本で活動しているアーティストです。
奥野ビル306号室で開催されたホセイン・ゴルバ展では、バラをモチーフにした2作品(花瓶と顔シリーズ、寛容の詩学)が展示され、会期中(5月9日~15日)、100名を超える方々にご覧いただきました。初日の夕方、作品制作をテーマにした作家のトークが行われたのですが、その内容はアートとは何かを考える上でとても示唆に富んだものでした。以下に要約してご紹介します。

まず、このブロンズの作品《花瓶と顔シリーズ》についてお話します。きっかけは1993年に、ローマ郊外にある、ヴィットリオ・カポレッラ芸術財団がペルシャの文学やアラブの文化について話をしてほしいと中東のアーティストや詩人たちを同財団のブロンズ鋳造工場に招いてくれたことです。
ブロンズの鋳造プロセスを見るのは、初めてでしたが、金属が鋳造されている現場にとても魅力を感じました。というのは、いろんな材料がマグマのようになって、全く違うものになってゆくからです。それまでは、本物のバラの花びらを使ったりしていましたが、それらは遅かれ早かれ朽ちてゆくものです。しかしブロンズを使えば薔薇を永遠に生き続けさせることが出来るのです。
私自身の作品は自然の素材などを使うことで生まれています。それは当時、共感していたアルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)というイタリアの美術運動の考え方によるものです。しかし束の間の物をブロンズにすることで、長く続くものに変えてゆくことが出来るということに、とても心惹かれました。
私は一旦、ミラノに帰ったのですが、すぐに戻って、何か月間か滞在させてもらい鋳造をやりはじめました。 鋳造の一つにセラミックというシステムがあります。《花瓶と顔シリーズ》は、その方法で制作しました。バラの枝を、粘着性のある液体に入れて、そのまわりを包み込む。7~8回それを繰り返すとかなり太い枝になる。その一部に穴をあけて、焼くと中が空洞のチューブのようになります。そこにブロンズの熱いマグマのような液体を流し込む。こうすることによって、本来の物に忠実な枝が出来るのです。
作品をよく見ると、いくつかの継ぎ目があるのがわかります。枝をいくつかのパートに分けて溶接しています。その後で、力を加えて枝の先が丁度くっつくようにしました。
色も塗ってあります。鋳造所で行われている色が好きではなかったので、そのテクニックを学んで自分の好きな色にしました。
この作品で花がキスしているのは愛の形です。私は以前から人間の絆に関心がありました。また幼い時に森を歩いている時に、木と木が向かい合い、重なりあっている光景をよく見たそのイメージもあります。また、二つの枝が上で出会って顔のような形になっています。眼も鼻もない「空なる顔
です。この顔は、どこに置いても風景を縁どることが出来ます。そして置かれた場の風景がこの作品の顔になるというわけです。ですから、ここでは壁が顔ということになります。
この鋳造所には多くの作家が来て作業をしていました。フランスのアルマン(廃棄物を集積した作品で知られる)やスぺーリ(食べ残しのある食卓を彫刻にした)もいました。私の作品は彼らがその鋳造所で作った作品と一緒にピストイアの有名なコレクターであるシルヴァーノ・ゴリさんの所有するヴィッラ・インバラカーティで、展示していただきました。
鋳造すると、元の物が無くなるのが気になるのではないかという質問がありましたが、確かにそうした面はあります。鋳造する前に本物の枝を使って、どういう風に見えるかを実際に作ってみました。それは、それで愛らしく、鋳造する前はまさにアルテ・ポーヴェラでした。《樹木の花》という別の作品では、茎の部分は実際の木の枝を使い、花瓶と花は新聞紙で作りました。するとそれを見ていた鋳造所の人たちが、新聞紙で出来た花と花瓶が面白いので、これは壊さない方がいいと言っていました。
次に、弁当箱の作品《寛容の詩学》についてお話をします。イランの子どもたちの持ち物として、こんなものがあります。(ハンカチサイズの布にモスクが描かれており、聖地の土を固めた聖石がその上に置かれている)メッカの方角に向かってお祈りをするための子ども用の物です。お弁当箱には、この布の代わりに、仏教で使われる五色の布を入れました。この聖石は私が子どもの頃使っていたものです。別府で行われた現代芸術祭で使おうと思って兄さんに連絡し送ってもらったものです。
私は原爆資料館で見た滋君の弁当箱にとても感銘を受けました。これがその写真です。ご飯が真っ黒になっています。写真を資料館から取り寄せて、朝の光に置いて、そこに薔薇の花をかけて写真を撮ったものです。実際に起こった劇的な事件ですが、私はそれを詩的なものに変えたいと思いました。
この弁当箱の作品も、そういう意図で作られました。聖石は私が子供の頃、お祈りをしていた時に使っていたものですが、それを弁当箱に入れました。また祈りに使う布の代わりに仏教で使う五色の布を入れました。それによってイスラムの世界からの連帯意識を表わしたいと思ったのです。イスラム教徒が使う布には、モスクの建物、クーポラとミナレットの図像がありますが、私はあえて抽象的な五色の布にしました。五色の布は虹の色のようでもあるし、人間の幸福への知恵を表わしている。作品をそうした詩的なものにしたかったのです。

306号室は、かつて美容室であったことを示す丸い鏡が壁面に残されています。顔をイメージしたブロンズ作品は、鏡と鏡の間に置かれたことで背景の壁と虚実が絡んだ不思議な響き合いを見せました。ホワイト・キューブの部屋では、決して鑑賞することが出来ない光景で、来場した多くの方に306号室の持つ場の強さをあらためて感じさせてくれました。

トークで語られたように、ゴルバさんは、マグマとの情熱的な格闘の中で「空なる顔」を持つ作品を作り上げました。それはどんな場所に置かれても、新たなイメージを喚起するユニークなものです。濃密な空間と想像力豊かなアーティストによって比類のない美が生み出されことを心から喜びたいと思います。
今も、世界では人間を死に追いやる争いが絶えません。弁当箱の作品は、歴史が決して消え去るものではなく、今日の問題としてリフレーンされることを思い起こさせてくれます。知らず知らずに汚染された時代の空気を吸い込んでいる私たちは、時にこうした詩的な作品の前で大きく深呼吸をする必要があるのではないでしょうか。(主宰者 西松典宏)