「FISSION(分裂) and FUSION(融合) − POST/PHOTOGRAPHY 2011-21 3.11から10年目の、写真の今と未来」展

「FISSION(分裂) and FUSION(融合) — POST/PHOTOGRAPHY 2011-21 3.11から10年目の、写真の今と未来」展
会期:2021年3月10日(水)〜3月15日(月)13時〜19時
入場無料
主催:G/P+abpおよび銀座奥野ビル306号室プロジェクト会員・野村とし子

【関連イベント:加藤裕士ソロライブ】
3月11日(木) 14:46〜
3月13日(土) 14:46〜、19:00〜
各回演奏時間30分ほど
入場無料

※詳細、更新情報は以下のFacebookイベントに投稿しています。
https://www.facebook.com/events/854152935375803

●展覧会ステートメント
「分裂と融合について」  後藤繁雄

2011年の東日本大震災(以下3.11と表記)から2021年で10年が経った。
このタイミングで銀座奥野ビル306号室プロジェクトの運営メンバーである野村とし子さんとの協働で、3月10日(水)から15日(月)の、6日間の短期間ではありますが、メモリアルな写真展「FISSION and FUSION(分裂と融合)」展を開催したいと考えている。

2011年の3.11は、地震・津波・福島第一原発のメルトダウンによる放射能被害など、未曾有のカタストロフィーをもたらした。そのインパクトは、東北エリアにとどまらず、日本全体、そして社会文化全体のあり方を根本的に問う事件だった。
また、それぞれの個人に対して、「自分に何ができるか」「これからの自分はどのように生きるべきか」を考えさせる、大きな変化の引き金となった。

僕はG/P galleryをやっていたから、「写真にできること」、「写真ですべきこと」について考えた。表参道ヒルズの地下のスペース「O」で、PHOTO/BOOKS HUBというアートブックフェアを行い、入場者から東北の写真祭への義援金を募り寄付を行ったりもした。
加えて、やはり大きな体験としては、数人の写真家たちとともに石巻などの被災現地に撮影に行ったことだった。報道写真は沢山あったが、自分の目、体で応答することが重要だと思ったのである。
その体験は、破壊と創造、さらには「いのち」についての再考を迫った。群馬県の川場村でその後4年にわたり、「ニューネイチャー」をテーマにした写真のフィスティバルを開催したのもその発展だった。

当時、一番考えていたことは「最悪を最善に考える」「カタストロフィーから写真は生まれる」というパラドキシカルな思考であり、それは2011年から、この10年間、自分の大きな指針となった。

このような10年は、それぞれの個人の中に、埋め込まれているだろう。それを忘却せず、さらにアップデートさせる契機とするために小規模ではあるが「FISSION(分裂) and FUSION(融合) POST/PHOTOGRAPHY 2011-21 3.11から10年目の写真の今と未来」展を開催することに決めた。

「FISSION」も「FUSION」も、核にまつわるコトバとして使われるし、分裂と融合は、アメリカ大統領選やコロナがもたらした社会状況をも意味している。

他者(ひとごと)と私(わがごと)、廃墟とユートピアという相反するジレンマの問題が宙吊りとなり、ましてコロナの感染の収束や東京オリンピックの開催も不透明な「いま・ここ」で、ささやかながらメモリアルな作業を印すことは無駄な作業ではない。

また、銀座奥野ビルは築89年の歴史的な建築物であり、とりわけ306号室は生活者の痕跡が色こく残存したむき出しの場所だ。制度化されたホワイトキューブではまったくない。そのようなエアポケットな場所に置かれた写真が、どのように作用するか。

加えて協働主催者の野村さんが、石巻の出身であることも、重要なコインシデンスだとおもわれた。

この展覧会は、単に過去をふり返るものではなく、我々の未来に、さらに待ち構えている「分裂と融合」のための問いかけにならなければならないだろう。

●協働主催者より
「306号室で開催する意味」 野村とし子(銀座奥野ビル306号室プロジェクト会員)

後藤さんから展示の構想をお聞きしたときにまず思ったのは、306号室で開催したいということだった。理由は最後に書くが、その前に自分のことを書いておきたい。

私の家族は石巻で被災した。以来、震災の話題が自分に向けられたときに、それを敬遠したいと思うことが多くなった。うしろめたさ、罪悪感、他者の目などを過剰に意識してしまうからだ。言い換えると、震災によって新たに与えられた当事者性のようなものに慣れることができないからかもしれない。

このような展示に参加することは、私と当事者性を考えたときの補助線となり得るのではないか。そして306号室の会員には、私同様に家族が被災したという経験を持つ者もいる。私は、そのような会員にもどうしても声をかけたかった。

奥野ビルは関東大震災の復興住宅として建設され、開戦、終戦、戦後を経てきた。長い時間の流れを感じさせる306号室で、ポスト・フォトグラフィーと当事者性はどのように反応するのか。そこに、306号室プロジェクトの会員としてこの部屋で開催する意義を感じている。