Mirrors And Windows / The Shape Of Images To Come ー ミラーズ・アンド・ウィンドウズ/来るべきイメージ 展

Mirrors And Windows / The Shape Of Images To Come ー ミラーズ・アンド・ウィンドウズ/来るべきイメージ 展
会期:2021年10月28日(木)〜10月31日(日)13時〜19時
入場無料
主催:銀座奥野ビル306号室プロジェクト 野村とし子
共同企画:G/P+abp 後藤繁雄
参加アーティスト:
飯田信雄、石田嘉宏、児嶋啓多、後藤繁雄、橋村豊、松井祐生
楠尚子(10/30、31のみ)

※会期中以下のイベントをオンラインで配信
10月29日(金)
「アート」と「編集」を戦略会議する 「アート・編集・場所」(後藤繁雄、野村とし子、児嶋啓多、ほか)
オンライン配信URLはこちら→ https://youtu.be/B4jqFOJ3VoI

Mirrors And Windows

タイトルの鏡と窓は、1978年にMoMAの写真部門ディレクターであるジョン・シャーカフスキーが企画した展覧会「Mirrors And Windows: American Photography Since 1960」から借用。当時の企画意図は、写真は『自己を表現する鏡』であり『外界の探求を目指す窓』でもある、そして、当時から20年間を遡って鏡派の写真家と窓派の写真家の作品を選び写真表現の動向を扱うものであった。

今回の「Mirrors And Windows」は、過去を振り返るものではなく、私たちにとっての来るべきイメージを提示したい、作品を通して鏡や窓を発見してほしいと願っている。サブタイトルは、ジャズの名盤「The Shape Of Jazz To Come」から借用。

場を持つ人 場を持つ理由

後藤繁雄さんから『場を持っている人』と紹介されることが多い。古いビルの古くて狭い部屋を約30人ほどで借りているので、場を持つというよりも、たまに場を使わせてもらっているというのが、個人的には相応しい言い方だ。だが、よくよく考えると、『場を持っている』ことにもっと自覚的になった方がよいのではないかと思うようになった。

というのも、私はこの『場』を自由に使えるからだ。もちろん、部屋の古い状態への留意や他の部屋を借りているテナントへの配慮は必要だし、他の誰かが借りていて、借りたいと思ったときにいつでも借りられるわけではない。だけど、少なくとも自分の使いたいように自由に使うことができる。この部屋の維持は様々なバックグラウンドを持つ会員たちのボランタリーな運営で成り立っている。上下関係もなんのしがらみもない。内容についての審査などもない。最低限、会員への説明は必要で、疑問点や不安に答える必要はあるとはいえ、そのような自律的でオルタナティブな場を使える自由を私は手にしているのだ。

さて、会員になった当初は、自分の活動の発表の場として使うことを考えていた。実際に、私が主宰するAirTのイベント会場として利用することもある。が、それ以上に楽しいのは他の人と協働で使うことではないかと思っている。今年の3月に後藤さんと協働で「FISSION(分裂) and FUSION(融合) — POST/PHOTOGRAPHY 2011-21 3.11から10年目の、写真の今と未来」展を開催した。これは、10年前の震災に反応した作家たち、最近活動を始めた作家たち、震災で家族が被災した人たちが参加したグループ展で、狭い部屋に12人の作品+1人のパフォーマンスが共存するもの。一言で言うと、作品同士が境界を侵食し合い、観客までもが展示に組み込まれ、作品と観客がそれぞれの境界を侵食し合っているものだった。なお、詳細は展示終了後にnoteに書いた記事を参照していただきたい(https://note.com/tnomura/n/n88a1e6bf20b9)。

そして「分裂と融合」が終わった後に思ったのは、自分のイベントよりも遥かに予想を超えて面白かったということだった。そして思い出したのが『芸術家は何かをつくる。そしてある日、大衆の介入によって、観客の介入によって、彼は認められる。』というデュシャンの言葉だった。3月の展示中も、いろんな話を思いもかけず長いことしてしまったり、話を伺っていてその方の興奮が伝わってくるようなことが何度もあった。

なるほど、こういうことが『場を持つ』醍醐味なのかもしれない。イベントを開くことで、作品同士、作品と観客に何らかの化学反応が生まれる、そこに立ち会えるような状況を作ること、これこそ、私が場を持つ理由かもしれない。様々な条件がright timeかつright placeに重なって、そのときの自分にしかできないこととして現れると言ってもいいだろう。『観客の介入によって芸術家が認められる』ように、観客の介入によって場を持つ人も認められる、ということについても、私はもっと自覚的になった方がいい。

銀座奥野ビル306号室プロジェクト 野村とし子