ビヨウ室探訪第1週(西松)

8月の第1週、 銀座奥野ビル306号室では、アーティストの黒多氏により、かつてこの部屋で美容室を経営していた須田芳さんの仕事を継承・発展 させるアート・イヴェントが開かれた。部屋に一歩足を踏み入れると、髪を整える美容室と茶の湯を楽しむ茶室が同居した不思議な空間にまず 驚かされる。ハサミで髪をすく音と茶を立てる音が静かに交錯し、それぞれの会話も重なり合う。一見ミスマッチに見える美容室と茶室だ が、日本の美容の元である髪結いは浮世床の言葉に表されているように「人の寄り合いの場」であり、主客の心のつながりをめざして「もてな し」と「しつらえ」を基本とする茶の湯とは、深いつながりを持つ。実は、奥野ビルが銀座アパートであった頃、ここには映画関係者のサロン があったことが知られており、今回の企画は、それを掘り起こす意味からも興味深い。

開かれた部屋のガラス窓の敷居の上には、水を入れたいくつものガラス容器が置かれている。見た目にも涼しげで、気化熱によって暑さを和らげ ようという工夫であるが、その容器はまた陽光を反射し、部屋の天井に光の輪を揺らめかせる美的効果も果たすように仕組まれている。ヘヤメ イクを担当するのは、白山さんをはじめとする飯田橋のヘアサロン「シャルドン」のスタッフである。このヘアサロンは日本でも珍しいフランス式のヘアメイクを行っており、システマティックなイギリス式と異なり個々の客の顔形と髪質を考慮したオートクチュール型の美容を目指し ている。須田さんと同時代に日本の美容師の草分けとして活躍した吉行あぐりさんが髪型について「絵でいえば額縁のような役割」と語ってい るが、その言葉とも通じ合うものがありそうだ。

赤 い毛氈が敷かれた控えの間で、茶の湯の亭主を務めるのは、現在京都に住むガラス職人の森塚さん。自作のガラスの茶碗を用いて茶をたてる。出された茶碗を見ると黄緑色の茶の周りにガラスを通して見える毛氈の赤い色が鮮やかだ。茶碗を目の前にかざすと、茶が二層に分かれているのも 見え、ガラス茶碗の予想外の面白さが伝わる。

茶の湯が行われている控えの間では、ガラス窓が半開きにされている。中央に縦長の空間ができ、上の部屋の植え込みから垂れ下がる植物のツルがその空間の中にぴたりとおさまっている。窓側を向いて座る客の目に見事な借景であるが、それが床の間の掛け軸のように見える。ツルが風 で静かに揺れる様はスタティックな絵よりも強い印象を残す。さらに黒多氏は、このツルに触発され、美容室の側の蛍光灯のスイッチのひもを 床まで長くのばし、その下に水を張ったガラス容器を置いた。一種の見たて。日本の伝統的な表現方法のひとつであるが、それが美容室の装飾として使われ、二つの部屋をつないでいる。

こうした様々な表現が可能になったのは美容室と茶室という二つの用途が組み合わされたからではないか。今回の黒多氏の企画はいわば中心軸が 二つある楕円型アート、日本的に言えば中央が少しくびれたひょうたん型アートともいえようか。そういえばこの須田美容室には二つの部屋を 結ぶ小さな窓が作られており、部屋の構造そのものもひょうたん型といえるかもしれない。その要の窓には金魚鉢が置かれ、二匹の金魚が二つ の空間を行き来して悠々と泳いでいた。