ビヨウ室探訪第3週(西松)

ビヨウ展第3週は、写真によるアート作品を制作している今道子のインスタレー ションである。入口を入ると奥にある美容室の部屋は黒っぽいカーテンで仕切られている。

部屋の間には四角い小さな窓があり、観客はそこから中の様子を覗くよう促される。顔を入れると部屋は暗く、見えてくるのは向かい側の鏡に 映った覗く人自身の顔である。このとき「覗く」という行為が強く意識されて妙な気持ちになる。正面には顔が大きなバラの花に変わったマネキンが立つ。着ている白い衣装はカールした本物の髪とハサミでデザインされている。その右側に立つ背の高い男。鬚をはやした顔は写真の切 り抜きで頭部は白いユリの花で飾られている。切り抜いた眼とハサミが模様を作る背広姿だ。床の上には腕と脚の一部をもがれたマネキンが横 たわり、胸のあたりに大きな白い花束が載せられている。床一面に髪の毛が散りばめられ、右側に大きな柱時計が床に立てかけられている。振り子のある窓の中に別の男の顔写真。男の頭部には揚羽蝶が置かれ、下にある石膏の手に万年筆が握られている。一言でいえばシュールな光景だが、一つ一つの像が、綿密に練り上 げられ、巧妙な造形力によって形象化されている。そして,髪やハサミを用いることで美容室としてのこの場の記憶が強くイメージされるよう に構想されている。揚羽蝶、ユリの花など添えられた物を心理学的に夢解釈すれば、さらに作家の意識下にある秘められた欲望も露わになろう が、それらは見る側の観客にも作用し、共犯関係を作り上げるように思える。

一体これらの像は何を意味しているのか? 見ているうちに私は次第に殺人現場に居合わせた探偵気分になり、事件を推理してみたくなった。殺されたのは床に横たわるマネキン。ポケットに凶器のような大きなハサミを入れている鬚の男が怪しい。それにしても時計の中に潛む男は何者なのか? とりとめもなく様々な想像が浮かんでは消えるが、筋 の通った物語が生まれるわけもなく、キツネにつままれたような気分となり、覗き窓から顔を上げることになる。

控えの間のソファーでは、見終わった後、何となく落ち着きの悪い 観客たちが、江戸川乱歩や実相寺昭雄の名を出して、話しこんでいる。そこに作家自身が「私は、少年探偵団の小林少年が憧れだった」と話に 加わる。エロス、ホモ、レズなどの言葉がゆきかい、話はどこまでいったのやら・・・やがてアルコールのせいか寝込んでしまったらしい。私 はその部屋で名探偵明智小五郎と小林少年と一緒だった。明智小五郎が「小林君、これは怪人20面相の仕業に違いない」と言うと、小林少年は、一瞬ギクッとした 表情を見せるが「先生、でも20面相はどこへ行ったのでしょうか?」と答えつつ覗き窓に向かって ニヤリと笑った。その顔はまぎれもなく・・・・

少し、脱線してしまったが、作品は幼い頃に見た見世物小屋やお化け屋敷にどこか近いものがあり、見ることの楽しさを十二分に味あわせてく れた。ハサミや髪をキーワードにしたイメージを作家が夢想した背景には、ここが中性的なホワイトキューブの空間ではなく、一人の女性が美 容師として活きた場所であったというこの部屋の存在があろう。そこでは展示されるアート作品も選ばれ、鍛えられる。昨今の日本は新しがり やで、過去と切れた珍奇なものが増産され、古くなったものを次々と捨ててゆく。見慣れた大通りに急に新しい建物が建つ。するとそこに今ま で何があったのかすぐに記憶がなくなってしまうことをよく経験する。固有な風景が失われてゆく。果たしてそれでいいのか。人間の記憶が、 未来につながれてゆくためには、ゆっくりと流れる時間は言うまでもないがモノがそのモノなりの寿命を全うすることが何よりも大切ではないか。そうした思いから須田美容室では、ほこりやしみ、人間の垢、そしておそらくは気のようなものまでがそのままに残されている。その中で、未来への営みが紡がれてゆく。今回の作品制作は、そのことの意義をも訪れた人々に伝えてくれる好例ではないだろうか。