西洋館物語 上映会(東京駅)の報告(西松)

復元作業がまもなく完了し、東京駅が蘇るという報道が新聞の紙面を賑わせているせいか、上映会への関心も高く、10名を超える参加者があった。はじめに講師の近藤さんより「建物には歴史が凝縮されていることから近代建築のビデオを制作した」旨の話があり、上映が始まった。
ビデオの前篇では「日本の鉄道の中央停車場として辰野金吾によって建設され、当時の最新技術である鉄骨煉瓦造りであること、通過型の機能を果たすため横長の建物であること、近代国家建設の記念碑としてルネサンス様式であることなどの特徴に加え、関東大震災にも耐えた堅牢な建物だったが、昭和20年に焼夷弾の直撃を受け、3階部分を失った歴史的経緯が紹介された。
建物の構造では、江戸の埋め立て地で水分を多く含んだ土地だったが、土中で最も腐りにくい松の杭を打ち込み、その上に煉瓦の基礎が築かれたこと。外壁はヴィクトリア朝時代の様式を取り入れ、赤煉瓦に御影石や装飾的柱を用いて、豊かな表現に仕上げられていることなどが映像で示された。興味深いのは、今も当時の柱が5,6番線ホームに残されており、柱の頭部にアカンサスが装飾されていることだ。ドームは8角形で内部は華麗に装飾されていたが、敗戦後のドーム復興には、戦闘機に使われたジュラルミンが用いられ、ドーマーウィンドウの建設には連絡に手旗信号が使われたというエピソードがあった。
東京駅は大正7年に原敬首相の暗殺、昭和5年には浜口雄幸首相が襲われるという事件の現場ともなったが、遭難現場がタイルで示されているというのは新鮮な情報だった」
前編が終わった後、近藤さんより「煉瓦を大量生産できるホフマン窯を深谷に作り、鉄骨は八幡製鉄が担った。外側の煉瓦の目地漆喰はかまぼこ状になっており、職人の技術の高さが表れている。」という話があり、後編の上映に移った。
「最初は東京ステーション・ホテルの紹介。当初は、増加する外国人客を迎えるためヨーロッパスタイルでオープンした。震災後の不況の中で経営は精養軒から直営になり、日本人客が増える。内田百閒の「阿房列車」や松本清張の「点と線」などホテルは文学の舞台にもなった。東京駅にはこのほか、グリル丸の内や赤れんが、ばら、オークなどのレストランやバーなどがある。また昭和63年からは東京ステーション・ギャラリーという美術館がオープン、煉瓦の壁を生かした展示室は、評判となった。番組では最後に長年東京駅で靴磨きをしていた方に東京駅の歴史を尋ねていた。終戦後は進駐軍の兵士にチョコレートをもらったことや、経済成長著しい頃は1日60人ほどの客があって懸命に靴を磨いたこと、安保の時には大勢の学生が駅に入り込んだことなどの思い出を語っていた。」
上映後、近藤さんからは「政府がイギリスで学んだお雇い外国人のコンドルに辰野金吾らを育てさせて、日本の近代建築の代表的な建物である日本銀行や東京駅などを建てさせた。そのあたりを番組に入れられたらよかったと思う。ターミナル駅ではなく通過駅の長い駅を作ったのは、アムステルダム駅と似ているが、世界の鉄道史までは入れられなかった。建物はその時の産業や時代と深くかかわっており、昔は歴史を年表で記憶していたが、大震災=大正ロマン=アール・デコなど、建物でリアルに実感できるようになった。東京駅の前の土地を三菱が買い上げて丸の内が出来た。政商としての三菱のこともわかる。首相が暗殺されたのは、政治が停滞したり、軍国に傾く時だった。」という補足の話があった。質問の中では、空中権などについて話が弾んだ。これは、JR東日本が駅舎を復元するための費用を、使っていない容積を三菱地所に譲渡する空中権取引によって捻出したもので、三菱地所はそれを新丸ビルなどの建設に使った。この法令は歴史的建造物の保存に今後も大きな役割を持つものと思われる。